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親鸞聖人と浄土真宗がやさしく分かる入門サイトです。 初めて学ぶ方も、イラスト入りの解説で分かりやすく学ぶことができます。

親鸞聖人のご生涯

浄土真宗の祖師・<strong>親鸞聖人</strong>は小説やテレビにも取り上げられ、
今日もなお多くの方からの尊敬を集めていますね。

両親との死別、肉食妻帯、権力者の弾圧、越後へ流刑、長子の勘当……。

<strong>親鸞聖人90年のご一生は、「たくましき親鸞」と多くの人を魅了しています</strong>。

親鸞聖人の目覚ましいご活躍の源はなんであったのか。
波乱万丈のご一代をたどります。

弟子一人も持たずの御心
親鸞聖人最期のお言葉「御臨末の御書」

「我が歳きわまりて」とは、親鸞いよいよこの世の命尽きたということです。 死んだらどうなるのか。 多くの人が、死んでみないとわからないという中、 親鸞聖人は、一息切れれば「安養浄土に還帰す」と仰っています。 安養浄土とは、阿弥陀仏の極楽浄土のことです。親鸞、死んだら、阿弥陀仏の極楽浄土へ往くとハッキリ言われています。これを「往生一定(おうじょういちじょう)」といいます。 往生一定とは 往生とは、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、仏に生まれることをいいます。一定とは、一つに定まるということで、ハッキリするということです。いつ死んでも阿弥陀仏の極楽浄土へ往って仏に生まれることがハッキリしたことを往生一定といいます。いつ死がやってきても崩れない幸せなので、絶対の幸福ともいわれます。 親鸞聖人は、29歳の時、往生一定の身、絶対の幸福になられて、身を粉に、骨を砕きてもと、絶対の幸福になる道を教えられた仏法一つに伝えられました。 35歳で越後(新潟県)へ流刑となられた親鸞聖人は、配所の地でも尽力なされました。 5年後、京の都へ歩みを進められる親鸞聖人に、恩師・法然上人ご逝去の知らせが届きます。悲しみに沈む親鸞聖人でありましたが、関東布教を決意。やがて関東は法の華咲く地となっていきました。 親鸞聖人が関東に打ち込まれた真実の杭は、人々の心深く入っていきました。仏法を嫌う日野左衛門(ひのざえもん)を救済せんと、石を枕に雪を褥(しとね)に、家の門前で休まれたことは、有名です。また、親鸞聖人を不倶戴天の敵と憎む山伏・弁円(べんねん)が、白昼、剣をかざして襲ってきた時も「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)」、友よ、兄弟よと諭されました。お徳に打たれた弁円が、お弟子の明法房(みょうほうぼう)となったことも、今なお語り継がれています。 絶対の幸福に救い摂られた喜びは、どれだけご恩返しに励んでも、相済み、終わったということはない。どんなことがあっても、仏法を伝えずにおれない。ご恩返しは、真実の仏法を一人でも多くに伝え、人々を絶対の幸福に導くことと知らされた親鸞聖人は、生涯、仏法を伝えること一つに生き抜かれたのです。 しかし、まだ足らぬ、相済まぬと、90歳でお亡くなりになる時も、 「極楽でのんびりなどしておれない。寄せては返す波のように、親鸞、すぐに戻ってくる。だから一人いる時は二人、二人の時は三人だと思いなさい。うれしい時も、悲しい時も、親鸞がいつもそばにいるからね」 と呼びかけられているのです。 未来に生きる永遠の青年 「未来に生きるのが青年、過去に生きるのが老人」といわれます。たとえ肉体は70才80才であっても、素晴らしい未来に燃える人は、青年だといえましょう。 無窮の波動のように、限りなき衆生救済の未来に生きられた親鸞聖人は、永遠の青年でありました。

弟子一人も持たずの御心
親鸞聖人・弟子一人も持たずの御心

京都にまします親鸞聖人を慕って、関東からやってきた信楽房(しんぎょうぼう)というお弟子がありました。親鸞聖人からかわいがられ、直筆の御本尊やお聖教まで賜っていましたが、ある時、親鸞聖人の仰せに反発し、友達の制止を振り切って、門下から飛び出しました。 親鸞聖人に後ろ足で砂をかけて去る信楽房に、お弟子たちが、 「あいつ、お師匠さまから頂いた御本尊まで持っていったのではないか」 「許せん、取り返してくる」 と、息巻きます。それを見られた親鸞聖人は、 「もうよい。信楽房は、この親鸞との縁、尽きたのだろう」 と静かに言われました。 連れ添う縁あれば同行するが、離れる縁あれば別れねばならぬ、人の離合集散は入り組んだ因縁によると『歎異抄』に、親鸞聖人は仰っています。 利害目的が一致しているうちは仲良くても、利害が対立すると解散する。政界や企業などでよく見聞きしますが、仏法者の和合は、利害の一致ではなく、同じ教えを聞き求めるところに生まれます。 10年以上も親鸞聖人や友達たちと苦楽をともにしてきた信楽房でしたが、納得いかぬと言い張り、親鸞聖人から離れていきました。憤懣やる方ない弟子たちに親鸞聖人は、 「皆、よく聞かれるがよい。つくべき縁あれば伴い、離るる縁あれば離るることがあっても、決して、あれはわが弟子だとか、他人の弟子だとかの争い、仏法者にあってはなりませぬぞ」と諭されたのです。 親鸞聖人は「あれは私の弟子だ」「うちの門徒だ」「私が仏道へ導いたのだ」との不心得を厳戒なされました。本当の自己の姿を知らされた親鸞聖人は、以下のように仰っています。 (意訳) 是非も正邪もわきまえぬ、上に立つ値などなき身でありながら、先生とかしずかれたい名誉欲と利益欲しかない親鸞、どこまで狂い切っているのか。情けない限りである。 多くのお弟子がいた歴史上の事実 しかし実際は、親鸞聖人には多くお弟子がありました。それなのに「親鸞には、弟子など一人もいない」と仰ったのは、どういうことでしょうか。 「己の力で救えるのならば、わが弟子、ともいえよう。じゃが、阿弥陀如来のお力によらねば、アリ一匹、救われないのだからのぉ。それを己の弟子と思うなど、言語道断、断じてあってはならぬこと」 表面上、お弟子たちは、親鸞聖人に導かれ、生死の一大事に驚いて、真剣に聞法し救われたように見えますが、真実はそうでないことを、誰よりも親鸞聖人は深く自覚なされていました。 すべて阿弥陀仏のお力によって導かれている人たちを、わが弟子とは、毛頭思えなかったのでしょう。 (意訳) 微塵の慈悲も情けもない親鸞に、他人を導き救うなど、とんでもない。弥陀の大慈悲あればこそ、すべての人が救われるのだ。 去りゆく信楽房に向かって親鸞聖人は合掌し、 「信楽房よ。火宅無常の世界は、よろずのこと、皆もって、空事、たわごと、まことはないのじゃ。ただ弥陀の本願のみぞ、まことなのだ。いずこの里に行き、いずれの師匠につこうとも、これだけは間違ってくれるなよ」 信楽房の身を案じられる親鸞聖人のお気持ちに、お弟子たちは深く頭を垂れるばかりでした。 (次へ:最期のお言葉「御臨末の御書」)

「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」の真意
親鸞聖人「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」の真意

「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」と聞いたら、驚く人が多いのではないでしょうか。実は、親鸞聖人は、常に仰っていたお言葉として、親鸞聖人の曽孫の覚如上人の『改邪鈔(がいじゃしょう)』に記されています。 近年、自分の死後の心配をする人が増え、人生の終末に向けての活動を「終活」といわれています。自分が入る棺を自ら選び、墓をどうするか、葬儀の規模や誰を呼ぶかの段取りまでする人が、増えているようです。 逝く人も遺族も、葬式・法事・墓などで、死後、迷惑をかけないように、みなの幸せを願うのが一般的ですから、この親鸞聖人のお言葉に驚き、どういう心で仰ったのか、その真意は、なかなか、想像できないものです。 覚如上人は、『改邪鈔』に、その真意を書かれています。 (意訳) 皆、肉体の葬式ばかり考え、それを教えているのが仏教だと思っているが、そうではない。仏法の信心を最も重く見るのが仏教である。 仏法の信心とは、死んでからではなく、生きている現在に、いつ死んでも極楽往生間違いない身となり、絶対の幸福になることをいいます。 生きている時に絶対の幸福になるのが仏法の目的 私たちは、何の為に生まれてきたのでしょう。何の為に一生懸命、働いているのでしょう。苦しいことがあっても、生きねばならないのは、なぜでしょう。それは、生きてきてよかったと本当の幸せ、絶対の幸福になる為ではないでしょうか。 仏法を聞いて、絶対の幸福になることを、仏法の信心といいます。生きている時に、絶対の幸福になることを「平生業成(へいぜいごうじょう)」といいます。平生、生きている時に、人生の大事業である絶対の幸福になることが平生業成です。 平生業成は、親鸞聖人の教えの一枚看板といわれます。親鸞聖人は、平生業成一つ、教えられたということです。死んでからではなく、生きている時に、絶対の幸福になれる、これ一つ教えられたのが、親鸞聖人であり、仏教なのです。 それなのに、葬式、法事、墓など、死んだら用事があるものと思われていますので、このように仰っています。 (意訳) 葬式などは問題にならない、すぐに止めなさい。 葬式は意味がないのか では、葬式や法事・墓参りなどは無意味かといえば、そうではありません。心掛け一つで尊いご縁となります。 毎日、忙しい私たちは、立ち止まって自己を振り返ることがありません。毎朝届く新聞、テレビ・ラジオから、目に耳に飛び込むニュースに、悲惨な事故のない日は一日もありませんが、誰も皆、自分の死は想定外。海難事故、航空事故、人災・天災に、幾多の命が奪われても、わが身に振りかかるまで、真面目に人生の終着駅を考えようとはしません。 そんな時、葬儀に参列したり、墓前にぬかずく機会は、人生を見つめる得がたいご縁です。やがて逝かねばならぬ無常の身、夢のごとき一生だから、早く大事な仏法の信心を獲て、生きている時に、絶対の幸福になりなさいよと勧められている親鸞聖人の教えを聞くきっかけとなります。 亡き人は、生きている私たちに、何を望んでいるのでしょう。いろいろ想像できますが、やはり、生きている私たちに幸せになってもらいたいと思っているのではないでしょうか。亡き人の死を無駄にせぬよう、本当の葬儀・法要を勤め、親鸞聖人の教えを聞かせて頂きましょう。 なぜ川へ捨てて魚に与えよ、なのか 「地獄は一定すみかの親鸞。葬式なんぞもったいない。八つ裂きにされても足らぬ極悪人は川へ捨ててもらって結構」 一生造悪・極重悪人の本当の自己の姿を知らされた親鸞聖人は、忙しい中、多くの人が集まって葬式をしてもらったり、墓をつくってもらうのは、不要だと徹底した懺悔と拝することもできます。 「ああ。親鸞、生きるためとはいいながら、これまでどれだけ魚を食べてきたことか。せめて死んだ暁には、食べてもらうのが因果の道理」 自因自果の因果の道理をハッキリ知らされた親鸞聖人は、今度は私が食べてもらう番と、仰ったのでしょう。 「それにのぉ、南無阿弥陀仏に染まったこの身を食べて、人間界に生まれる縁にでもなればと思うてなぁ……」 親鸞の南無阿弥陀仏の大功徳に染まった体を食べて、やがて人間界に生を受け、仏法を聞いて、本当の幸福になってくれよと、生きとし生けるものすべてに慈悲を注がれたお言葉とも受け取れます。 (次へ:弟子一人も持たずの御心)

親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現
親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現6

(意訳) この上は、日蓮に従って念仏捨てようと、親鸞に同心して、念仏を信じたてまつろうとも、おのおの方の、勝手になさるがよかろう! 親鸞聖人お一人を心底慕い、信じ切ってやってきた関東の人たちだと、重々承知なされてのお言葉です。 “後生の一大事は一人一人の問題なのだ。親鸞が伝える弥陀の本願を信じて、浄土へ往くのか、日蓮の邪説に惑うて念仏を捨てるのか、勝手にしたらよい”「出て行け」と心を鬼にして子を叱る親心は、子供と絶縁したいのではない。抱き締めたい一杯なのだ。憎まれ嫌われても、過ちを二度と犯さぬようにと願う慈悲以外にないのです。 悪夢から覚めた関東の人たちは、懺悔の涙とともに、二度と迷うまいと心に刻み、晴れ晴れと帰路に就いたのでした。 関東から京都へやってきた人たちが帰った後、桜舞う庭先に下りられた親鸞聖人に、お弟子の蓮位房(れんいぼう)が不安げに申し上げました。 「お師匠さま。これから関東も大変なことになりそうでございますねえ」 すると親鸞聖人は、庭の桜の木の傍らで、 「だがのぉ、蓮位房。考えてみれば、このたびのことは、喜ぶべきことなのだ」 と、しみじみ仰ったのです。 関東で大事件が起き、そのために片道1ヶ月もかかる道を、関東の人たちは京都まで赴きました。治安のよい現代でさえ、長旅には危険が伴う。まして当時は、荒れた道なき道もあり、物取りや山賊などに命を奪われるなど、危険は現在の比ではありません。そんな旅に、田畑を売って路銀を作り、家族と水杯を交わしてきたのです。それなのに、なぜ喜ぶべきことと仰ったのでしょうか。 驚いてお聞きする蓮位房に、親鸞聖人はこう答えられました。 (意訳) 日蓮や善鸞の言葉ぐらいで、ぐらつくような心では、臨終の嵐の前には、吹き飛ぶのだぞ。まことの幸せになっていなかったことが知らされただけでも、喜ぶべきことではないか。 (次へ:「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」の真意)

親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現
親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現5

(意訳) この親鸞、たとい法然上人にだまされて地獄に堕ちてもさらに、後悔はないのだ。 私たちは、信頼できる方、だまさないと思う人を先生・師匠と仰ぎます。世の中には様々な道の先生がいます。例えば剣道・柔道などのスポーツや、書道・華道・絵画などを教える先生がありますが、親鸞聖人にとって法然上人は、往生極楽の道を教示してくださる唯一の師でした。 もしその先生からだまされたらどうなるか。信頼が深いほど、裏切られたら深く傷つき、怒り恨みの毒を吐くのが普通でしょう。「私は裏切られても後悔しない」という人は、あまり相手を信じていないからです。では親鸞聖人は、師匠の法然上人をあまり信頼されていなかったのでしょうか。もちろんそうではありません。 この方にならだまされても後悔しない、とはどんな信じ方なのでしょう。その理由を親鸞聖人はこう語られています。 (意訳) 助かる縁、微塵なりともある親鸞ならば、だまされて地獄に堕ちた、という後悔もあろう。だがのお、金輪際、助かる縁の絶え果てた親鸞、地獄へ堕ちて当然。 助かる可能性ゼロ、地獄に堕ちて当然の親鸞だから、だまされようがないのだと言われるのです。 地獄一定の極悪人と知らされた親鸞聖人が、そのまま救う阿弥陀仏の本願まことだったと絶対の幸福に生かされ、天に踊り、地に躍る喜びの身になられました。 阿弥陀仏の本願まこと、法然上人の仰るとおりであったとハッキリし、だまされようのない身になられたので「この親鸞、たとい法然上人にだまされて地獄に堕ちてもさらに、後悔はないのだ」と言えたのです。 (意訳) 弥陀の本願がまことだから、それひとつ説かれた釈尊の教えにウソがあるはずはない。釈迦の説法がまことならば、そのまま説かれた、善導大師の御釈に偽りがあるはずがなかろう。善導の御釈がまことならば、そのまま教えられた、法然上人の仰せにウソ偽りがあろうはずがないではないか。法然の仰せがまことならば、そのまま伝える親鸞の言うことも、そらごととは言えぬのではなかろうか。弥陀の本願まこと、これが親鸞の信心だ。 *善導……約1300年前、中国の方。親鸞聖人が最も尊敬されている一人。 弥陀の本願が真実か否かをお聞きするためにやってきた関東の人たちに親鸞聖人は、「弥陀の本願まことだから」と仰っています。 「おわしまさば」とあるので、「弥陀の本願がまことであるならば」と、仮定の意味だと理解する人がありますが、親鸞聖人は著作の至るところに“弥陀の本願まこと”、“本願以外まことはない”と断言されています。その親鸞聖人が本願を仮定で仰るはずはありません。 (意訳) まことだった、まことだった。弥陀の本願まことだった (意訳) 火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとであり、まことは一つもない。ただ弥陀の本願念仏のみがまことなのだ。 どんなに信頼できる人や物でも、絶対に私を裏切らず、見捨てないと言い切れるでしょうか。 「彼は信用できる、大丈夫だ」「この土地は地震が起きたことがない、安全だ」と頑張るのは不安の裏返しかもしれません。いつかどこかで裏切られる、夢幻のごとき人生。ひょうたんの川流れのような、よりどころのない浮世に唯一つ、弥陀の本願念仏のみがまことなのだから皆々信じなさいと、不惜身命の90年、叫ばれたのが親鸞聖人です。 そのまことの弥陀の本願が関東の人たちにはいま一つハッキリせず、一番信じられるのは親鸞聖人でした。だから、お金も時間も苦労もいとわず、関東から1ヶ月以上かけて、親鸞聖人にお聞きしに来たのです。 そんな彼らに、何の証明も解説もなしに「弥陀の本願がまことなのだから」と、関東の人たちの最もハッキリしない「弥陀の本願まこと」を大前提として話を進められました。弥陀の本願にハッキリ救い摂られた親鸞聖人には、これ以外の表現はありえなかったのでしょう。 怒涛逆巻く海に、天上の月が宿れば、その月影は流されも、壊れも、消えもしない。たとえ釈尊・善導・法然さまにウソ偽りがあろうとも、弥陀の本願に直結した親鸞の心は微動だにもしないのだ、との仰せです。 「いくら言っても、親鸞の信心、この外何にもござらぬ。一向に、変わり申さぬ」と重ねて断言された心こそ、関東の人たちが最も聞きたかったことでした。 (続く:親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現6)

親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現
親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現4

命懸けにやってきた関東の人たちを前に、この阿弥陀仏の本願への疑心を手に取るように察知なされた親鸞聖人は厳しく仰います。 (意訳) もし親鸞が、阿弥陀仏の本願のほかに、往生の方法や秘密の法文などを知っていながら、隠し立てでもしているのではなかろうかとお疑いなら、とんでもない誤りである。 関東の人たちは、心中全て見抜かれていたことを知らされ、いかに親鸞聖人を悲しみのドン底に突き落としたことかと、身震いするのでした。 20年間命懸けで教えてきたのに、「他に隠している教えがあるのでは」と疑われた親鸞聖人のやり場のない怒り、落胆、悲しみはいかばかりであったでしょう。 それは『歎異抄』第2章の次のお言葉からも知られます。 (意訳) 往生極楽の道は阿弥陀仏の本願一つ、と伝えてきたこの親鸞をそれほど信じられぬのならば、奈良(南都)や比叡(北嶺)に行かれるがよい。あそこには、ど偉い学者がたくさんいなさるからなぁ。その人たちに後生助かる道を、よくよくお聞きなさるがよかろう。 ここで“南都北嶺のご立派な学者に聞かれるがよい”とは、何という皮肉でしょう。 幼くして両親をなくされた親鸞聖人は、次は自分が死ぬ番だと、9歳で比叡山に入られ天台宗の修行をなされました。後生の一大事の解決を求めて、全身全霊修行に打ち込まれたのです。しかし、全国の高僧たちが集まっていたという奈良や比叡にも、後生助かる道を教える本当の仏教の先生はなく、20年間、苦悩の日々を送られました。 それだけではありません。親鸞聖人がようやく巡り会われたまことの仏教の師・法然上人を弾圧し、住蓮房・安楽房たち法友を死罪にしたのは、他ならぬこれら奈良や比叡の者たちだったのです。 親鸞聖人が、法然上人のお弟子であった頃、庶民や武士、公家や貴族、聖道諸宗(天台宗、真言宗、禅宗など)の学者までが法然上人の教えに参集しました。急速な浄土宗の発展に恐れをなした聖道諸宗は一丸となって、権力者と結託し、朝廷へ讒訴、仏教史上かつてない「承元の法難」となったのです。 このような聖道諸宗の者たちを「ゆゆしき学匠(立派な学者)」と、親鸞聖人は痛烈に皮肉られているのです。 親鸞聖人の怒りに、心底震え上がった関東の人たちではありましたが、同時に迷いから目が覚めたすがすがしさに、親鸞聖人の御元へ来たことを心から喜んだのでした。 親鸞聖人から直にお聞きしたい、その思いが、阿弥陀仏の本願への疑いと知った驚きは、青天の霹靂だったことでしょう。その彼らに、「親鸞におきては」と、ご自身のお名前を出され〝他人のことは知らぬが、この親鸞はこうだ〟との直言です。 (意訳) 親鸞は、法然上人のご教化により、阿弥陀仏の本願不思議を不思議と知らされ、念仏申さんと思い立つ心のおきた一念に、往生極楽の身に、救い摂られたのだ。いつも、話しているとおりである。 阿弥陀仏の本願念仏一つが、すべての人の真に救われる、往生極楽の道であり、その他に道なしと教えられたのが親鸞聖人でした。 (意訳) 念仏が、極楽往きのタネか地獄へ堕ちる業〈行い〉か、全く知るところでない。 このお言葉を 「念仏は浄土に生まれる因やら、地獄に堕つる業やら、親鸞もまるで分かっていなかったのだ」 「命懸けで来た人たちに、これでは無責任ではないか」 と親鸞聖人の心情を全く理解できぬ故の、的外れな非難がありますが、正反対です。 35歳の不当な死刑・流刑の判決にも屈せず、90年のご生涯、往生極楽の道・阿弥陀仏の本願の布教のみに生き抜かれた親鸞聖人。阿弥陀仏の本願念仏を「往生極楽の道」と仰り、ほかに極楽浄土へ往ける道なしと、教えられています。関東での20年、忍耐の鎧を着け、心身を砕き、阿弥陀仏の本願を説き続けられたのです。 それなのに関東の人たちは「念仏無間」という、一切経のどこにも出ていないデタラメな妄言に惑わされ、念仏は地獄行きのタネなのかと、確かめるためやってきている。親鸞聖人のご心情はいかばかりであったでしょうか。そのやり場のない怒りと悲しみを噴出されているのです。 「阿弥陀仏の本願念仏一つ説いてきたのに、まだ疑うか」と突っぱねられたお言葉が「総じてもって存知せざるなり」です。あまりに明々白々なことを尋ねられると、答えるのももどかしい。「知らんわい!」と突っぱねることがあるでしょう。親鸞聖人の「知らん」は、知りすぎた「知らん」であり、「おまえたちは、今まで何を聞いてきたのか」の叱声なのです。 関東の人たちにとっては、どんな言葉よりも、親鸞聖人のこの「知らん」こそが、腹にこたえるお答えだったことでしょう。 (続く:親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現5)

親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現
親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現3

命懸けの聞法の旅 親鸞聖人のお弟子の代表、性信房(しょうしんぼう)は、「京へ行って、じかにお師匠さまにお聞きしよう」と訴え、一同は京行きを決意しました。 とはいえ、新幹線も電話もメールもない当時、京へは歩いていくよりありません。まさに命懸けの旅でした。京都までは武蔵、相模など十以上の国があり、片道1ヶ月、往復で2ヶ月かかったといわれます。 その間の宿代や食費等、多額の旅費も必要です。道中には、箱根の山や大井川など自然の難所があり、山賊や盗賊もウロウロしています。護摩の灰もいる。生きて帰れる保証など、どこにもありませんでしたが、それでも行かねばならぬ聞法の旅でした。 *護摩の灰……昔、旅人の姿をして、道中で、旅客の持ち物を盗み取った泥棒 関東の人たちは、 (意訳) たとえ、大宇宙が火の海になろうとも そのなか仏法聞き抜く人は必ず不滅の幸せに輝くのだ 親鸞聖人の常の教えに従い、それぞれが困難を乗り越えて、決死の覚悟で京へと旅立ったのです。 いよいよ親鸞聖人の館へたどり着いた関東の人たちは、親鸞聖人の尊容を拝し、懐かしさと感激でいっぱい、思わず両手を突きました。 生きて再会できた喜びは言葉にならず、「親鸞さま……」とすすり泣く。親鸞聖人は優しいまなざしで見渡された後、彼らにこう直言されています。 (意訳) おのおの方、十余ヶ国の境を越え、身命の危険を冒してまで、この親鸞に問いただしたきご存念、親鸞、よーく、存じている。往生極楽の道、ただ一つでござろう。 武蔵、相模、駿河など十以上の国を越え、はるばるやってきた人たちに、親鸞聖人は、「遠路よく来られた」「久しぶりだな」「変わりはないか」など、いたわりの言葉も慰めの一言もありません。 関東から来た人たちの厳しい思いを察知なされて、親鸞聖人もまた、真剣に彼らに対峙されました。 関東の人たちが馳せ参じた理由をズバリ「身命を顧みず、訪ねてこられた目的は、往生極楽の道、ただ一つのためであろう」と仰っています。 往生極楽の道 往生極楽の道とは、阿弥陀仏の本願のことです。阿弥陀仏の本願とは「すべての人の後生暗い心をぶち破り、極楽浄土へ必ず往ける大安心・大満足の身にしてみせる」お力のことです。 後生暗い心とは、死んだらどうなるか分からない心のことです。100%確実な未来が分からない、この心こそ、すべての人の苦悩の元凶と仏教では見抜かれています。未来が暗いと、現在が暗くなる。現在が暗いのは、未来が暗いからです。5日後に大手術を控えた患者に「今日だけでも楽しくやろう」と言ってもムリなように、後生暗いままで明るい現在を築こうとしても、できる道理がありません。 それが、阿弥陀仏の本願のお力により、平生、後生暗い心がぶち破られ、後生明るい心に救われた人は、死ねば必ず極楽浄土に往って、仏に生まれることができるのです。それで、阿弥陀仏の本願を往生極楽の道といわれます。 極楽とか浄土と聞きますと、「死んだ後、地獄や極楽があるとかないとか、昔ならいざ知らず、今どき、おとぎ話でないか?そんなこと、どうして信じられる?」という人も少なくありません。 あるアンケートによると「死んだらどうなると思う?」の問いに、“無くなる”と答えた人は66%、“何か別の世界がある”は34%でした。死んだら“無になる”と思う人が大変多いのですが、皆さんはどのように考えていますでしょうか? “考えたことないわ”という方も、自分の行く先を、一度、考えてみていただきたいと思います。 「門松は冥土の旅の一里塚」 禅僧一休の歌のごとく、1年たてば1年、それだけ大きく冥土(死後の世界)へ近づいているのです。生は死への行進であり、死は全人類の100%確実な未来ですから、「死んだらどうなるか」の問題と、無関係な人はありません。 来世は、有るのか、無いのか──?尋ねられれば自分の信条を答えることはできても、“分からないナァ”が、本音のところではないでしょうか。“無い”と言っていても、絶対に無いとは言い切れない。“有る”と考える人も、どんな世界なのか、明言はできないでしょう。 未来がハッキリしていないほど、不安なことはありません。行く先が暗ければ、今から心が暗くなるからです。 慣れない土地で初めてバスに乗った時など、目的地に着くまで不安な思いをした経験はないでしょうか。未来が暗いと、現在が暗くなります。 不安や苦悩の絶えない人生になる根本原因は、未来(死後)どうなるか分からない「後生暗い心」一つであると、親鸞聖人は教えられています。 「生死輪転の家に還来する」とは、苦しみ悩みから離れられないことをいいます。その原因は何か。「決するに」とは、ただ一つということです。疑情(後生暗い心)一つであると教えられています。 平生に、この「後生暗い心」を破り、「後生明るい心」にするのが阿弥陀仏の本願です。この阿弥陀仏の本願によって、いつ死んでも極楽往き間違いない身に生かされます。阿弥陀仏の本願を、親鸞聖人は、往生極楽の道と教えられています。 親鸞聖人は関東で20年、教え続けられたことは、この阿弥陀仏の本願、往生極楽の道一つでありました。関東の人たちも20年、このこと一つをお聞きしていたのです。 にもかかわらず、善鸞、日蓮の言葉で、心が大きく動揺し、真偽をハッキリさせたいと立ち上がったのでした。それは親鸞聖人一人を慕っての参上ではありましたが、「ほかに救われる道があるのでは……」「だまされているのではなかろうか?」という親鸞聖人への不信でもあったのです。 その心を見抜かれて、「そなたたちが命懸けて訪ねてきた理由は今更聞かずとも分かっている。私が関東で教えてきた阿弥陀仏の本願が信じられず、何が往生極楽の正しい道なのか、確かめるためであろう」と言われているのです。 美文で有名な『歎異抄』ですが、この第2章は、心中にたぎる怒りから発せられた親鸞聖人のお言葉が記されています。 (続く:親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現4)

親鸞聖人の長子・善鸞の邪義
親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現2

善鸞の「秘密の法文」 善鸞の始めた邪義「秘密の法文」とはどんなものでしょうか。今日「土蔵秘事(どぞうひじ)」「カギ法門」「不言講(いわずこう)」などといわれ、全国に広がっています。親鸞聖人・覚如上人・蓮如上人の教えられたことと異なります。 その特徴は、以下のようなものです。 1,絶対に秘密を守れと言う 2,夜中に授ける 3,彼らのいう知識(仏教の先生)から「それでよい」と認可される 4,儀式によって信心をもらう 5,救われた年月日時に覚えがなければならぬ、とやかましく言う 6,救われた後は、聞く気がなくなる 善鸞の邪義は、関東の人々の間に、次第に広がっていきました。「溺れる者はわらにもすがる」、焦りから惑い、「秘密の法文がある」というささやきになびく人が、一人、また一人と、現れたのです。 不穏な空気を察した親鸞聖人の教えを聞いていた人たちが、親鸞聖人のお弟子方に相談しようと、稲田の草庵へ駆けつけて、対応を検討するようになりました。 *稲田の草庵……現在の茨城県笠間市稲田。親鸞聖人がお住まいになっていた所 わが子・善鸞のそんなふるまいを知られた親鸞聖人の悲しみは、いかばかりであったでしょう。再三再四、京都から諌めの手紙を送られています。 「善鸞よ。仏法を歪曲し、人々を苦しめる以上の大罪はないのだ。今からでも遅くない。深く懺悔し、正しい仏法をお伝えするのだ」 このような善鸞の邪義と日蓮の出現で、まるで地震と台風とが同時に襲来したように、関東の人たちの心は大きく動乱しました。 「秘密の法文は本当にあるのか?」 「念仏は、地獄に堕ちるタネなのか?」 「ほかに助かる道があるのでは……」 本当のところを、親鸞聖人に直接、お聞きしたい。この思いは次第に強まっていきました。 関東で親鸞聖人の教えを聞いていた人たちは、重大な決断をするのです。 (続く:親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現3)

親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現
親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現1

鎌倉幕府の弾圧 親鸞聖人の関東ご布教で仏縁を結んだ人々は、親鸞聖人が京都へ帰られた後も真摯に仏法を聞き求めていました。その親鸞学徒の力強さと法輪の広がりを危険視した鎌倉幕府は、やがて念仏停止の命を下します。 鎌倉幕府が、阿弥陀仏の本願を説く者、聞く者を制圧し始め、動揺は人々に波及していきました。幕府ににらまれては生きていけないと離れていく人、また「この先どのように仏法を求めたらよいか」と不安がる人々にどう真実を伝えればいいかと、関東のお弟子たちは頭を痛めました。 親鸞聖人の長子・善鸞(ぜんらん)は、親鸞聖人が京都へ移られた後関東に残りましたが、善鸞も思うままにならない布教の苦しい現実に次第に悩みを深め、迷い始めるのでした。やがて親鸞聖人が厳しく禁じられた権力者に近寄り、仏法を曲げるまでになっていくのです。 日蓮の出現 時同じくして関東に「『法華経』こそ真実の教え、『法華経』を信じないから不幸になる」と叫ぶ日蓮が現れました。うちわ太鼓をたたきながら彼は「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」と各地に触れ回ったのです。 これは、〝念仏を信じている者は無間地獄へ堕ちるぞ。禅宗は天の悪魔。真言宗は国をほろぼす。律宗は国賊だ〟という意味ですが、日蓮の造語でお経にはない言葉です。 逆に『観仏三昧経(かんぶつざんまいきょう)』には、お釈迦様が臨終間際のお父上に、念仏を勧めておられます。念仏を称えたら無間地獄に堕ちるのなら、お釈迦様が臨終のお父さんに地獄に堕ちるような念仏を勧められるはずがありません。 また、「南無阿弥陀仏」はお経にハッキリ説かれていますが、「南無妙法蓮華経」はどのお経にも出ておりません。 権力者の弾圧に加え、日蓮の「念仏無間」を繰り返し聞かされた人々は、最初は聞き流していたものの、次第に動揺し始めました。善鸞の住居を訪ね、不安な胸中を明かす者も出てきました。 「善鸞様、この頃、日蓮とかいう坊主が念仏は地獄へ堕つる業だと触れ回るやら、幕府からは一向専念の布教禁止のお達しも出たとか……。こんなことをしとる間にも、一大事の後生が迫っておると思うと居ても立ってもおられん。何とか早く助かる道はないもんかいのお、善鸞様」 そんな不安な人たちに、善鸞は「実は、父・聖人から自分だけが授かった秘密の法文(教え)がある。深夜、儀式によって与えるぞ」と言い触らし始めたのです。これは親鸞聖人の教えとは、異なることです。 なぜ善鸞は邪義を広めるようになったのか 善鸞は、親鸞聖人のご長男でありながら、なぜ間違った教えを広めるようになったのでしょうか。 善鸞も、当初は「仏法を誤りなく伝えてくれよ」の親鸞聖人のご期待に応えんと、真面目に布教していたはずでした。ところがそこへ幕府の弾圧や日蓮の出現で、親鸞聖人の教えを聞いていた人たちの心が大きく動乱したのです。聞いても聞いてもなかなか安心できず、何とか早く助かる道はないものか、という焦りから、人々の心に惑いが生じていました。善鸞とすれば、動揺する人たちを何とか安心させ、自分の元につなぎ止めておく〝何か〟が必要だったのです。 また「実子の自分こそが関東を束ねねばならない」という他のお弟子たちと関東布教の主導権を争う気持ちもあったでしょう。 そこで、ありもしない「秘密の法文」を捏造し、仏法をねじ曲げていったのです。私たちはここに、いつの時代も変わらぬ、人間の弱さや迷いを見ます。 教えを曲げることはもちろん、父・親鸞聖人に対する重大な裏切り行為です。それをあえて踏み切らせた善鸞の論理とは、何だったのでしょう。 それは権力者と手を組めば、いずれ堂々と布教できるようになる、だから決して悪いことではなかろう、という自己保身の論理でした。 (続く:親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現2)

見返り橋
親鸞聖人還暦過ぎ 関東の人々との別れ

およそ20年間、関東布教に力を尽くされた親鸞聖人が、止むに止まれぬ事情で、突然帰京を決意なされたのは、還暦過ぎのことでした。 交通も通信も未発達の当時、関東から十余カ国を隔てた京へ帰られることは、生涯の別れをも意味することでしょう。 親鸞聖人のご教導によって生死の一大事あるを知り、その解決の道・弥陀の本願を真摯に求めた同朋たちの悲しみ、動揺は、ひととおりではありませんでした。 帰京される親鸞聖人も、関東の人々との別れを大変悲しまれ、こんなお歌を残されたと伝えられています。 (意訳) 病める子を残し、体は旅の空にあるが、心はそなたたちの元に留まっているのだ 残される人々を「病む子」とは、なぜでしょう。その病を蓮如上人は『御文章』に「無始よりこのかたの無明業障の恐ろしき病」と言われています。全ての人がかかっている病気なのだ、と教えられています。 まずここで「恐ろしい病」といわれるのはなぜでしょう。肉体の病で恐ろしいのは、静かに進行し、気づいた頃にはもう手遅れというガンのような病気。「無明業障」も自覚症状なき病なのです。一体どんなものでしょう。 「無明」とは、108の煩悩のこと。「煩わせ悩ませる」と書き、特に恐ろしいのが貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)の三毒です。 貪欲は、無ければ欲しい、有ればなお欲しい、際限のない欲の心です。飲みたい、食べたい、金や財が欲しい、褒められたいとどこまでも駆り立てます。 欲が邪魔されると瞋恚、怒りが起きます。ひとたび腹が立てば、後は野となれ山となれ。一切を焼き尽くす炎のような心です。 愚痴は、宇宙の真理である因果の道理が分からず、他人の幸せを妬み、人の不幸を喜ぶ醜い心。ネタミ、ソネミ、ウラム、憎悪の心です。 これら煩悩で、常に悪業を造り、その報いが障り(苦しみ)となって現れるから「業障」といわれます。 そんな病を抱えた私たちの、一息切れた後生に一大事が待ち受けている、とお釈迦様は教導なさっています。 これを生死の一大事といい、その解決は阿弥陀仏の本願によらねばできない、と説かれているのです。 この弥陀の本願を求める人たちを「病む子」と言われているのです。 弥陀の本願力に動かされて集った人々を、わが子のように案じられる、親心にも似た心情と、彼らを残して帰京せねばならぬ断腸の思いが、この歌に込められています。 「私は、久しく関東にあって、弥陀の本願を伝えてきた。初めは非難していた者も、今は本願を信じ、浄土の教えは大変繁盛している。どうか皆人よ、ともに弥陀の救いにあって本当の幸せの身になってもらいたい。そのこと一つを念じています」 法友とのつらい別れを乗り越え帰京なさる際に、親鸞聖人はもう一首、歌を残されました。 (意訳) 親鸞を恋しく思うなら、一時も早く弥陀に救われ、本当の幸せになり、お礼の念仏称える身になってもらいたい。私も南無阿弥陀仏に生かされている。だからいつもそばにいると思ってくれよ。 (次へ:親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現1)

42歳・59歳の時にあった果てしなき悩み
親鸞聖人42歳・59歳の時にあった果てしなき悩み

親鸞聖人59歳頃、原因不明の高熱で三日三晩、ご家族も寄せつけられず、飲食も取られず寝込まれたことがありました。 ところが4日目、親鸞聖人は突然目を見開き、驚いたような大きな声で叫ばれたのです。 「ああ、そうであったか!」 ご内室が驚いて尋ねると、親鸞聖人は次のように仰っています。 「この深い阿弥陀如来のご恩を思えばなあ、親鸞。泣きたいような切なくてのお。じっとしてはおれんのだ。身を粉にしてもと思うのだが、やはり布教しかなかったと、またまた思い知らされたのだ」 弥陀に救われ、本当の幸せに生かされたご恩、身を粉に、骨砕いても、お返しせねば済まぬとの思いは、病んで寝込まれるほどであったのです。阿弥陀仏に救われた世界がいかに広大・深遠か、親鸞聖人のお姿から知らされます。御恩報謝に悩まれた親鸞聖人はやがて、弥陀の本願をお伝えする以上の報謝はないと、決然と立ち上がられました。三日間続いた熱も、スッと引いてしまったのです。 そして、このように、悩み惑われたことが以前にもあったのだと、親鸞聖人は述懐されています。 「こんなことは、17年前、上野国にいた時もあったのだが……」 親鸞聖人42歳の御時、上野国(こうづけのくに)佐貫(さぬき)にご滞在中に、大飢饉で多くの人が倒れていくのを見られ、矢も盾もたまらず、切なる衆生済度の思いから、根本経典の浄土三部経を千回読もうとなされました。三部経とは『大無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三つです。当時は、尊い経典を多く読めば、人々の苦しみが救われると広く信じられていました。阿弥陀仏の大恩に、どうしたら報いられるかの激しく熱い心から、親鸞聖人もつい惑われたのでしょう。ところが4、5日読まれて親鸞聖人は、 「これは、何ごとだ。『自信教人信 難中転更難 大悲伝普化 真成報仏恩』ではなかったか。他に何の不足があって、経典を読もうとしていたのか。われ誤てり、誤てり」 と仰って、すぐに常陸へ布教に旅立たれました。 これは、善導大師の有名なお言葉で、 自らが信心を獲る(弥陀に救われる)ことも難しいが、他人を弥陀の救いまで導くことは、もっと難しいことである。だが、その最も困難な「教人信」こそが、いちばん仏恩に報いる道なのである、という意味です。 この善導大師の教化に、親鸞聖人は目を覚まされて、 「そうだ。私のできる唯一最高の仏恩報謝は、一人でも多くの人に弥陀の本願を伝え、弥陀の救いにあうまで導くことではないか。ならば、布教以上の生きる道はなかった。他に、何が不足で経典を読もうとしていたのか。私は誤っていた、誤っていた」 と即座に布教にたたれたのです。 当時、千回もの経典読誦は、民衆に尊く受け入れられ、容易に敬われる行為でした。しかし、親鸞聖人はそれを捨て、大衆の中へ飛び込んで、弥陀の本願宣布をなされました。 *上野国……現在の群馬県 *常陸……現在の茨城県 *善導大師……約1300年前、中国の人。七高僧の一人として 親鸞聖人はたいへん尊敬されている (次へ:還暦過ぎ 関東の人々との別れ)

親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁
親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁4

幾たびも親鸞聖人をつけ狙い、殺害を企てた弁円を、立場が逆なら私が殺しに行ったであろうと、親鸞聖人は、哀れみ慈しまれました。 「まこと言えば親鸞も、憎い殺したい心は、山ほどあり申すが、それを隠すに親鸞、ほとほと迷惑しておりまする」 弁円と同じ欲・怒り・愚痴の心を吐露される親鸞聖人。そして 「こんな親鸞をも、阿弥陀如来は救いたもうた。煩悩逆巻く、罪悪深重の者こそが正客、との仰せの弥陀の本願じゃ。何の嘆きがあろうか」 と悪人正機の弥陀の救いを語られています。 殺すも殺されるも、恨むも恨まれるも、ともに仏法を弘める因縁になるのだと、命も惜しまれぬ親鸞聖人のお姿に、仏の大慈悲を感じた弁円は、陽春の雪のごとく害心が消えうせました。 親鸞聖人の御一代記である『御伝鈔』(覚如上人)には、こう書かれています。 明法房と生まれ変わる 弥陀の本願一つを説かれる親鸞聖人を怨敵と呪い、殺そうとした弁円ですが、悪に強いものは、善にも強し。光に向かって180度方向転換し、弥陀の本願宣布に挺身するようになりました。修験道の弟子や信者だった人にまで弥陀の本願を伝えたのです。 ガラリと生まれ変わった彼は、親鸞聖人から「明法房(みょうほうぼう)」の名を頂き、生涯、親鸞聖人を無二の善知識(先生)と仰いで、仏法を伝えた24人のお弟子(二十四輩)の一人に名を連ねています。 変わり果てた心 ある日、板敷山のつづら折りの道を、親鸞聖人は明法房(弁円)とともに歩きながら、語りかけられます。 親鸞聖人「ここを通るのも、久しぶりだなあ」 明法房「そうでございますね」 過去の思い出が、親鸞聖人と明法房の胸中に交錯したことでしょう。しばらくしてふと親鸞聖人が振り返ると、彼の姿が見えない。親鸞聖人が案じて道を戻られると、道端にうずくまっていました。 親鸞聖人「どうした明法房。どこか悪いのか」 優しい聖人の言葉に、彼は頭を振る。 明法房「いいえお師匠さま。もったいのうございます。どこも悪い所はございませんが、在りし日のことが思い起こされまして……。この山で、この道で、お師匠さまのお命を、縮めんとしていた私が、どうして……、どうしてこのような不思議……」 こらえていた涙が一気にあふれ出る。 親鸞聖人「そうか。そうだったなあ」 聖人も昔を思い出し、山を見上げられました。 この時、彼の詠んだ歌が、 天地自然も道も、昔と何も変わらないけれど、わが心の何と変わり果てたものぞ。 明法房の変わりようには、周囲の誰もがビックリしたことでしょうが、いちばん驚いていたのは本人でした。それが 「変わりはてたる我が心かな」。 己の心ながら何と変わり果てたものだなあと、本願力の不思議に驚きあきれ、懺悔と歓喜、あふれる謝恩の思いを歌っています。 (次回へ:42歳・59歳の時にあった果てしなき悩み)

西念寺
親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁3

親鸞聖人への嫉妬に狂った弁円は、殺害を企てます。ところが、ご布教に赴かれる親鸞聖人を待ち伏せるも、全て失敗。 弟子たちが数十人、親鸞聖人の元に参じたと知るや、ついに弁円の怒りが爆発、剣をかざして親鸞聖人の住居・稲田の草庵へ、白昼堂々、乗り込んだのです。 「やい、親鸞いるか!肉食妻帯の堕落坊主!み仏に代わってこの播磨公(はりまのきみ)弁円が、成敗してくれるわ!門を開けろ!」 門前で叫ぶや弁円は、閉ざされた門戸を蹴破って突入しました。剣を振り回し、庭の草木をなぎ倒し、殺気みなぎる弁円に、お弟子たちは何とか親鸞聖人をお守りしようと案ずるばかり。 親鸞聖人はしかし、 「せっかく親鸞に会いたいと参られておるのじゃ。会わせてもらおう」 と、数珠一連持たれただけで、ただお一人弁円の前に出ていかれました。 そのお姿は、弁円の目にどう映ったでしょう。 「『よく参られた』と手を伸ばさんばかりの笑顔は、仏か、菩薩か……。不倶戴天(ふぐたいてん)の怨敵(おんてき)と、呪い続けた、これが親鸞か……」 慈悲温光のお姿に、なぜか弁円は動くことができない。ひるむ心を自らたたいて 「だまされぬぞ」 と己を鼓舞したが、天に突き上げた剣をどうしても振り下ろすことができなかった。 「ああーっ!」 叫び声を上げると、やがて弁円はくずおれ、大地に平伏して子供のように泣きだした。 「お許しくだされ、親鸞殿!稲田の繁栄を妬み、己の衰退をただ御身のせいだと憎み、お命を狙っていたこの弁円。恐ろしい、思えば恐ろしい。羅刹(らせつ)であった。どうかどうか、今までの大罪、お許しくだされーっ!」 そんな弁円の肩に、聖人は優しく手を置かれ、 「私が弁円殿の立場であったら、同じことをしたでしょう。まこと言えば親鸞、憎い殺したい心は山ほどあるが、それを隠すに迷惑しております。心のままにふるまわれる弁円殿は正直者」 驚き、心打たれた弁円が、 「お弟子の一人にぜひとも」 と願うと、聖人のお答えは、またしても意外でした。 「いやいや弁円殿。親鸞には一人の弟子もあり申さぬ。ともに御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)じゃ」 「同朋・同行」に「御」の字をつけて「御同朋・御同行」と言われています。同朋とは、「はらから」ともいわれ、兄弟のことです。同行とは、友達のことです。阿弥陀仏によって導かれ、救われた兄弟、法友だから、「御同朋・御同行」と仰っています。弥陀の救いに値い、本当の幸せになるのは、多生億劫にもない稀有なこと。阿弥陀仏とのご縁を、親鸞聖人がいかに尊ばれたかが知らされます。 その御心を、有名な『歎異抄』には、こう言われています。 (意訳) 親鸞には、弟子など一人もいない。そうではないか、私の裁量で仏法を聞くようになり、念仏称えるようになったのなら、わが弟子ともいえよう。だが、全く阿弥陀仏のお力によって仏法を聞き念仏する人を「わが弟子」と言うのは極めて傲慢不遜である。 弥陀に救われた人は、同じ弥陀の浄土へ向かって、ともに進む友なのだと『教行信証』には、こう教えられています。 蓮如上人もこのように教えられています。 親鸞聖人は、命を狙いにきた弁円に対して、「御同朋・御同行」、兄弟であり、法友なのだと呼びかけておられるのです。 (続く:親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁4)

暗雲
親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁2

弁円は関東一円に名を知らしめる星でした。ところが親鸞聖人が登場されると、昇る太陽に星が光を失うごとく、威光に陰りが出始めたのです。 初め弁円の弟子たちは、 〝親鸞は比叡山の修行がつらくて、逃げ出した男〟 〝越後に流された罪人〟 〝肉食妻帯の堕落坊主〟 とバカにしていました。 弁円も、 「いいですか皆さん。皆さんはそのような軽薄な教えに、決して迷ってはなりませんぞ」 と信者に注意するくらいで、歯牙にもかけなかったのです。 ところが、弁円の寺を埋め尽くしていた信者が一人、また一人、親鸞聖人の稲田へと流れていくと、弁円の弟子たちも焦り始めます。 「肉食妻帯(にくじきさいたい)の破戒坊主(はかいぼうず)、み仏に代わって、成敗してくれるわ!」 と拳を握り鼻息を荒げ、いきりたつ弟子を、 「まあ待たれよ。よいか。人集めに都合のよいことばかり言っておるのじゃ。やがては、我々の修験道こそ、正しい仏教だと分かる時が、必ずある」 と制止しながらも弁円は、自身の心がざわめくのでした。 弁円 「所詮は肉食妻帯の破戒僧ではないか。そんな者の所へ、なぜ?捨てておいてよいものか……。何とかしなければ」 高弟・弁長に親鸞聖人の稲田へ偵察に行かせます。しばらくして、稲田から帰った弁長の口から衝撃の事実が。 ついこの間まで「大尊者様」と弁円にかしずいていた、柿岡村の兵衛門が親鸞聖人の説法を聞き、 「わしは阿弥陀如来の本願に決めた。もう迷信なんかには、関わらん」 と言ったというのです。 〝この世の幸せを得ても、ほんのしばらくの安心。阿弥陀如来の本願によらねば、本当の幸せにはなれぬ〟 そう知らされた兵衛門が、村中に親鸞聖人の教えを伝えたため、柿岡村から弁円の元へ来る人は途絶えました。兵衛門の豹変に弁円一派は驚き、親鸞がだましたのだと憎みました。 悪魔の破戒僧、捨てておけぬ、祈祷で呪い殺すべしと弁円らは、恐ろしい形相で護摩壇に向かう。その様子は、稲田の親鸞聖人の元にも聞こえてきました。 そんな時、柿岡村の兵衛門が、親鸞聖人を村へご招待したのです。お弟子たちは心配しました。柿岡村へは、弁円のいる板敷山を越えねばならなかったからです。 お弟子の蓮位房 「お師匠さま。やはり、柿岡村へ……。柿岡村のご布教だけは、おやめになっては」 弟子の蓮位房の心配を重々、承知されながらも、親鸞聖人は、 「何を言うか蓮位房。一人でも求める人あらば、命懸けて伝えねばならぬが仏法!我々仏法者の務めではないか」。 命の危険を恐れて、法を説かぬのは仏法者ではない、と厳しいお叱りです。 親鸞聖人のみ教えを、そのまま伝えられた蓮如上人も仰せです。 (意訳) 一人でも聞きたいと求める人に、もし仏法を説かなければ、次のチャンスは二度とないかもしれぬ。命懸けて伝えねばならぬ。 親鸞聖人は、柿岡村の兵衛門の招待を受けて、仏法を伝えに行かれるのでした。 (続く:親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁3)

親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁
親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁1

鎌倉幕府が開かれたものの、天災による飢饉続きで、関東は大地も人心も傷つき荒れていました。不幸や災難に苦しむ人々を、先祖の霊のたたりだ、キツネやタヌキがついているのだと脅す者。天変地異は神の怒りとうそぶく者など、あまたの迷信や占いがはびこっていたのです。 その中、親鸞聖人まします稲田(茨城県)に程近い板敷山(いたじきやま)に、山伏・弁円(べんえん)率いる修験道(しゅげんどう)の一派が勢力を誇っていました。弁円は厳しい修行の末、孔雀明王(くじゃくみょうおう)の威神力を体得したと言い、その力で加持祈祷(かじきとう)すればどんな病気も治る、どんな願いもかなう、これぞまことの仏教と公言し、山寺で護摩壇(ごまだん)に火をたき、火中に供物を投じて祈願していたのです。 商売繁盛・家内安全・病気平癒を祈祷する人は、科学の発達した今日でも、世に満ちています。 「不幸のほとんどは、金でかたづけられる」と作家・菊池寛が言ったように、お金さえあれば、衣・食・住もよくなるし、病気も治療できる、家は安泰、願い事も何でもかなう。何と言っても幸せの元は〝金〟と思うのも無理からぬことでしょう。 そんな現世利益(この世の幸せ)が手に入ると聞いて、弁円の元に集まった村人が寺を満堂にしていたのです。近隣の柿岡村に住む兵衛門(ひょうえもん)も、熱心な弁円の信者でした。 兵衛門 「わしら村の者たちも大尊者様(弁円)のおかげで、家内安全、商売繁盛して、喜んでおります。のお?」 信者 「ああ、そのとおりじゃ。ありがたいことですわい」 弁円の弟子 「そう言ってもらえれば、大尊者もお喜びじゃ」 弟子たちは、弁円への称賛を我がことのように誇らしく聞いている。弁円様は、厳しい修行を遂げた方。だからその祈祷には凄い威力がある。そんな思いが、弟子にも信者にもあったことでしょう。兵衛門は、村人にもこう言っています。 兵衛門 「いいか、みんな。大尊者様からいつも聞いとるじゃろう。仏教の戒律を守り、修行を積んだ偉い人に、祈祷してもらわにゃあだめだぞ」 凡人のできぬ厳しい修行をした人は、神秘的な力を備えているから、祈祷してもらえば幸せになれるのだと、今でも思っている人はいると思います。 ところが、しばらくしてその兵衛門が、親鸞聖人の法話に誘われ出掛けていったのです。 親鸞聖人 「いいですか皆さん。考えてみてください。もし皆さんがお金もあり、子宝にも恵まれ、健康に暮らせたとしても、それで本当に、安心できますか」 参詣者A 「そうなれば、安心できると思うが……」 参詣者B 「しかしなぁ。金持ちになったら盗まれやせんかと、また心配じゃな」 親鸞聖人 「たとえ、どんなにお金が儲かっても、死んで持っていけるわけじゃない。病気が治っても、一時の安心ではありませんか。死なんようになったわけじゃない。少し死ぬのが延びただけ。やがては死なねばなりません」 参詣者A 「そんなこと考えんようにするしかないわ」 親鸞聖人 「こんな一大事が、外にあるでしょうか。考えないで済むことではありません。これを後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)といいます。この一大事の解決こそが、仏法の目的なのです。なぜ苦しくとも生きねばならぬのか。この、一大事の解決のためです!」 現世利益(げんせりやく)をどれだけ手に入れても、必ず全てと引き裂かれ独り行かねばならない後生を知らされた兵衛門は驚き、ガラリと変わってしまったのでした。 兵衛門 「こんな話、聞き始めだ。今日からわしは、親鸞さまのお話、聞かせてもらうぞ」 (続く:親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁2)

親鸞聖人の主著『教行信証』 52歳頃完成される
親鸞聖人の主著『教行信証』 52歳頃完成される

親鸞聖人 「お師匠様(法然上人)の書かれた『選択本願念仏集』のみ教えを、少しでも皆さんにお伝えしたいと思うてなあ。どう書き表したらよいか……。この、阿弥陀如来のご本願、この広大無辺な仏恩、どう伝え、どう報いたらよかろうか。親鸞の果てしなき、悩みじゃ」 すべての人が本当の幸せになれる道を知らせたい、親鸞と同じ心になってもらいたい。『教行信証』を執筆なされた目的は、これ一つでした。 親鸞、全く私なし 『教行信証』は、正式には、『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』といいます。 この書には「私釈(ししゃく)」といわれる親鸞聖人の作文は少なく、多くは釈迦の説かれた経典と、それを解釈した高僧の書物からの引用です。「文類(もんるい)」とは、それらの経釈から文章を集めたものということです。 親鸞聖人は常に、こう言われています。 (意訳) 親鸞の伝えていることは、今まで誰も説かなかった珍しい教えではありません。如来の教法=釈迦如来の説かれた仏教を、親鸞、間違いないとハッキリ知らされたから、皆さんにも教えているだけなのだ。 〝ばかりなり〟とは大変強い言葉で、それ以外ない、それだけだ、ということです。 「親鸞、更に私なし」の常の仰せのとおり、私見を交えず、釈迦の仏教をそのまま伝えられたことが『教行信証』にハッキリ示されているのです。 『教行信証』は浄土真宗の根本聖典 親鸞聖人が激しいご布教の合間を縫って書き残してくだされた『教行信証』は浄土真宗の根本聖典(こんぽんせいてん)であり「御本典(ごほんでん)」と呼ばれています。 「よろこばしきかな」(総序)で始まり、「よろこばしきかな」(後序)で終わるこの書は、どれだけ書いても書き尽くせない、本当の幸せになられたあふれる喜びと感謝が縷々したためられています。 全六巻からなる『教行信証』は、多くの識者を魅了しています。 近代日本の哲学者・三木清は以下のように書いています。 思索と体験が渾然一体となった稀有の書、根底に深く抒情をたたえた芸術作品 文芸評論家の亀井勝一郎も以下のように書いています。 『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている この『教行信証』の草稿ができたのは52歳頃といわれていますが、親鸞聖人は、お亡くなりになるまで加筆・修正を重ねられています。 想像を超える本当の幸せの世界を、どう書いたら、どう表現したら知ってもらえるだろう。親鸞聖人の熱い思いは、著作の果てなき悩みとなったのです。それはまさに絶望への挑戦だったといえましょう。 この『教行信証』を圧縮されたのが、浄土真宗で昔から朝夕拝読されている『正信偈(しょうしんげ)』です。 (次へ:親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁1)

親鸞聖人の田植え歌
親鸞聖人の田植え歌

親鸞聖人の田植え歌 澄んだ青空、新緑まばゆい5月、今まさに田植えの時期。人手を頼み共同作業する田植えは、1日先送りしても、収穫に響く。農民にとっては、天候とにらめっこしながらの気を抜けぬ大事でした。 親鸞聖人の教えを熱心に聞いていた平太郎(へいたろう)は、そんな村人に仏法聞かせたいと、親鸞聖人を招待し、田んぼに出てきた人を聞法(もんぽう)に誘います。しかし「食べる物食べんと生きてはいけんじゃろう」と、すげない返事に平太郎は「食べておっても死ぬんじゃぞ」とグサリ。それでも心に余裕のない村人は、平太郎を尻目に、田植えに取りかかるのでした。 平太郎の言うとおり、十分なお金や食べ物があっても、悲しいことに、人は死んでいきます。どんな人も死を免れることはできません。 しかし、ほとんどすべての人は〝食物の確保がまず第一、論ずる余地なし〟と、生きるためのお金や食物を得るのに、余念がありません。1年365日、朝から晩まで、食べるために私たちは生きていると言って過言ではないでしょう。オギャアと生まれたその日から、人生を閉じるまで、生きるため、食べるために、時間や体力・お金、すべてをつぎ込みます。 病気や事故の時、お金や財産があれば、命を延ばすことはできます。しかし、何億円蓄え、よい伴侶や子供に恵まれても、未来の不安はなくなることはありません。なぜなら、この世の一切は無常だからです。今あっても、いつどうなるか、わからない物や命で、どうして心から安堵できるでしょうか。 間違いない現実と思っていることが、実はいかに不確実なものなのかを、アメリカの作家J・ディディオンは、こう書いています。 それは、いつもと変わらぬ、ありふれた一日の終わりの出来事でした。夫は、スコッチをチビチビやりながら、私と会話していた。ふと顔を上げると、彼は左手を宙に上げ、動かなくなった。何かの冗談と思った私は、『やめてよ』と言った。しかし、夫が返事をすることは、二度となかった。 (略) 人生は急激に変化する。人生は一瞬に変化する。夕食の席に着いたと思ったら、命は終わる。 『THE YEAR OF MAGICAL THINKING』 すべての人はまるで、薄い氷の上の旅人のようなもの。次の一歩で、足元が割れて冷たい氷の下に沈むかもしれません。しかし、そうと気づかぬ私たちは、岩盤の陸地と思い込み、他人と争ってかき集めた財を背負って無防備に、次の歩みを進めています。 人一倍気をつけて氷の上を歩く人もありますが、どう歩いても、だれ一人、氷が割れないことはないのです。 この怖ろしい事実に、人は、目をつむり、人生最後の日まで、何の準備もせずに過ごしているとしたら、こんな危険なことがあるでしょうか。 いつ終わるとも知れぬ命で何をすればよいのでしょう? はかない命の意味は何か? その答えを教えられた仏教・阿弥陀仏の本願を、平太郎は、伝えずにおれなかったのです。 平太郎のその気持ちとはうらはらに、村人たちは、田植えに励みます。親鸞聖人は、村人の事情を知られるや、裸足で田んぼに入られました。聞きたい人が来るのを待っているのではなく、こちらから近づいていこうのお気持ちからでした。一緒に田植えを手伝うことはできても、田植えが終わってしまえば、村人たちは帰ってしまう。どうすれば、阿弥陀仏の本願を伝えることができるか。悩まれながら田植えをされる親鸞聖人は、歌を口ずさみました。村人が尋ねると、田植えのはかどる歌という。村人は引き付けられました。実は、それは、阿弥陀仏の本願を伝える歌でした。 「そりゃあ、何の歌で……」 「これはねぇ、田植えのはかどる歌なんですよ」 と親鸞聖人。村人は、打ち解けて 「そりゃあ面白いや。えーと、どんな歌だっけ?」。 「今度は皆さんと一緒に歌いましょう」 田んぼに手足をとられ、泥にまみれながら、親鸞聖人は、仏とも法とも知らない村人を、本当の幸せに導かんとご苦労なされたのです。 これは大変深い意味がありますので、月刊誌『とどろき』で詳しく説明しています。 (次へ:親鸞聖人の主著『教行信証』 52歳頃完成される)

関東布教 日野左衛門の済度
親鸞聖人関東布教・日野左衛門の済度(4)

親鸞聖人との対面で、日野左衛門は初めて、今生ただ今の救いを説く仏教の真髄を知る。だが猟師の自分を省みて、彼はこう吐露した。 「殺生ばかりしている俺なんか、どうせ縁なき衆生さ」 獣の血で汚れた自分が救われるはずがない。落胆する彼に、親鸞聖人は仰せられます。 「日野左衛門殿、あなたが殺生されるのは、肉を好んで食べる人がいるからでござろう。たとえ自分が殺さずとも、肉を食べれば、同じ殺生罪(せっしょうざい)と教えられているのが仏法です」 「え、それじゃあ、みんな殺生していることになるじゃないか」 驚いて返す日野左衛門に、 「いかにも。殺生せずしては生きてはいけない。私たちのどうにもならぬ、恐ろしい業なのです。すべての人が、どうにもならぬ極悪人だからこそ、阿弥陀如来は我を信じよ、必ず、救い摂ると誓っておられるのです」 親鸞聖人のご説法は続きます。 三つの殺生 猟師の日野左衛門は、生き物の命を奪うことを生業としている。仏教では殺生といい、大変恐ろしい罪だと教えられています。 それは一人、日野左衛門だけのことではありません。殺生せずして私たちは、一日として生きられないのです。 一口に「殺生」といっても、三とおりあると仏教では教えられています。 ・自殺 ・他殺 ・随喜同業 の三つです。 「自殺」とは、一般には「自ら命を絶つこと」ですが、この自殺は、自ら手を染めて生き物を殺すことです。 夏の夜、むずがゆさに目をやると、蚊が腕に留まり、今にも血を吸わんとしている。思わず〝ピシャリ〟 たたいたことがだれにもあるでしょう。「自殺」とは、このようなことです。 「他殺」は、他人に命じて殺すことをいいます。たとえ自分が殺さずとも、売られている肉を食べれば、同じ殺生罪と仏法では教えられています。牛や豚、鶏や魚を取り、育て、さばいて売る漁師や養殖、畜産業者などに命じて殺させていることになるのです。 「随喜同業」は、他人が殺生しているのを見て喜ぶ心があれば同罪、ということです。 テレビをつければ温泉紀行やグルメ番組が目白押しですが、いずれも見せ場は食事。 肉や魚を食べる時、イヤイヤ食べる人はないでしょう。 「口の中でとろける」「甘みたっぷり」「歯ごたえ抜群」 言葉を極めておいしさをレポートしています。喜び喜び口に運んでいるさまは、まさに随喜同業です。 日々の言動を振り返れば、このように殺生を犯さずには生きられぬ自己の姿が知らされます。 猟師として毎日野山を駆け回り、獣を仕留めて生計を立てている日野左衛門は、 「オレなど縁なき衆生」 と言わずにいられなかったのでしょう。 その根底には、救われるのは悪を犯さぬ者であり、善のできる人のみが救われる、という思いがあります。 だが、ここで親鸞聖人は、驚くべきことを言われる。 「阿弥陀仏は、どうにもならぬ極悪人を必ず救ってみせる、と誓われています」 日々、悪ばかり造っている極悪人をお目当てに、 「どうにもならぬそんな者を、絶対の幸福の身に救ってみせる」 と誓われた阿弥陀仏の本願を明らかにされています。 「いかなる罪悪深重の者をも必ず救う」お誓いこそ、弥陀の本願の真骨頂。 「無上殊勝の願」「希有の大弘誓」といわれるのも、深くうなずけることでしょう。 悪人正機 慈愛あふれる親鸞聖人のお言葉だった。が、日野左衛門は、己を振り返った。命をつなぐためとはいえ、残忍にも生き物の命を殺め続けている自分が絶対の幸福に救われるとは、どうしても信じられず、思わず親鸞聖人に尋ねました。 「そ、それは、本当か?」 自信に満ちた親鸞聖人は、笑顔でゆっくりと語られる。 「この親鸞が、生き証人でござる。欲や怒り、愚痴の塊の、助かる縁の尽きた親鸞が、も ったいなくも、阿弥陀如来のお目当てじゃった」 瞑目合掌なされ、静かにお念仏を称えられました。 その尊い姿に、日野左衛門と妻・お兼は、何かを感じ、身をのり出して口にする。 「あなたは違う、どっか違う……。親鸞さま、もっと詳しく聞かせてくだせえ」 あぐらから正座に居ずまいを正し、二人は食い入るように聞き始めました。 親鸞聖人の教えは、一般に「悪人正機」といわれ、有名な『歎異抄』第3章がよく取り上げられます。「悪人正機」とは、阿弥陀仏の本願のことです。「人間の正しい機ざま(真実の姿)は、悪人である。その悪人を、必ず絶対の幸福に救ってみせる」と、阿弥陀仏は約束しておられます。 この弥陀のお約束どおりに救われた親鸞聖人は「この親鸞が生き証人」と宣言され、〝欲・怒り・愚痴の塊の、助かる縁の尽きた親鸞〟を目当ての弥陀の本願だったと仰っています。 阿弥陀仏は、私たちすべての人間を煩悩具足、欲・怒り・愚痴の塊と見て取られています。 欲とは、何一つ不自由ない生活をしていても、あれが欲しい、これも不足、ああしたい、こうできれば……と自分の利益だけを底なしに求める心です。飢えた狼が狂ったようにエサに貪りつくごとく、金や色を求め、己の利益のために奔走しています。 思いどおりにならないと、チェッと舌打ちし、腹を立てるのが怒りの心です。 憎い相手が失敗し、泣き苦しむと、祝杯を挙げる。これが、おぞましい愚痴の心です。そんな、恐ろしい心だが、表面は何事もないような紳士淑女を装う。役者顔負けの他人だましのうそっぱちを、親鸞聖人はこう仰っています。 (意訳) なんとしたことか。蛇や蝎のような心は少しも止まない。悪性の根の深さに反省・努力するが、一時の善を売り物にする醜さに驚かずにおれない。毒の雑じった善、うそ偽りの行と言われて当然だ。 こんな親鸞一人を救わんがための弥陀の大変なご苦労であった。金輪際、助かる縁の絶え果てた私を、未来永劫の限りない幸せにしてくだされたとは、何ともったいないことか。極悪を捨てず裁かず救い摂る弥陀の本願に、ただ合掌されているのです。 (次へ:親鸞聖人の田植え歌)

関東布教 日野左衛門の済度
親鸞聖人関東布教・日野左衛門の済度(3)

阿弥陀如来の本願 日野左衛門は、親鸞聖人のご説法によって仏教観が一変していくのを実感しました。 それまでは「どう生きるか(手段)」ばかり求めてきましたが、「なぜ生きるか(目的)」が最も大事であり、自分はそれが分からずに苦しんでいたのだと気づきました。 そんな日野左衛門に親鸞聖人は、 「お釈迦様は仰せです。大宇宙には数多くの仏さまがおられる。それらの仏が、本師本仏と仰がれるのが阿弥陀如来です。阿弥陀如来は、無明の闇といって、すべての人々の苦しみの元である、後生暗い心を一念の瞬間で破ってくだされ、本当の幸せに救うと誓われている。これを阿弥陀如来の本願と申します」と説かれます。 「阿弥陀如来の本願……」 「そうです。その阿弥陀如来のお約束どおり、本当の幸せになることこそが、なぜ生きるかの答えなのです」 親鸞聖人はここで、すべての人の生きる目的、なぜ生きるかの答えを明らかにされています。それは〝苦悩の根元・無明の闇を、阿弥陀如来に一念の瞬間で破っていただき、絶対の幸福に救い摂られる〟こと。 これはどんなことでしょう。 親鸞聖人はまず、苦悩の原因を「無明の闇」と示されています。これは「後生暗い心」ともいい、すべての人はこの心によって苦しんでいる、と教えられています。 「暗い」とは「この辺りの地理に暗い」「歴史に暗い」などと同様、分からない、知らないということです。生ある者は必ず死に帰す。私たちの100%確実な未来を「後生」といい、その一息切れた死後がハッキリしない心を、無明の闇、後生暗い心というのです。 平均寿命が延びたといっても、死ななくなったわけではありません。だれもが必ずぶつかる問題です。その死の準備はできているでしょうか。 すべての人は幸福を求めて生きていますが、現実は、思いどおりにならずに苦しんでいます。 その原因を、ある人は〝金がないから〟と言い、ある人は〝こんな者と一緒になったからだ〟と嘆いている。多くは、環境や周囲のせいにして、「お金がたくさんあったら……」「素敵な恋人や結婚相手がいれば」「やりがいのある仕事に就けたらいいのに」と願って生きています。 しかし、たとえすべてが思いどおりになっても、それらは生きていてこそ喜べるもの。その生の土台を根底から覆す死が、だれの未来にも待ち受けていますから、人生は例外なく不安に染まっているのです。 その不安の出所を無明の闇といいます。この闇を一念の瞬間で破って、後生明るい心、大安心、大満足の幸福に救うと誓われているのが、本師本仏の阿弥陀仏なのです。 親鸞聖人は主著『教行信証』の冒頭に高らかに宣言されています。 (意訳) 阿弥陀仏の本願は、無明の闇を破る智慧の太陽である。 「無碍の光明」とは何ものにも妨げられない(無碍)弥陀のお力(光明)のこと。無明の闇を一念でぶち破ってみせる、迷いの根っこを断ち切って、極楽往生間違いない身にしてみせる、と誓われる仏は、大宇宙広しといえども阿弥陀仏以外にはありません。 この弥陀の救いにあわせていただくために私たちは、この世に生を受けたのです。 平生業成 親鸞聖人から話を聞いた日野左衛門は問いかけます。 「絶対の幸福……それはいつなれるのだ」 「この身、今生、ただ今のことです」 この答えは、日野左衛門をさらに驚かせました。 この親鸞聖人の教えを「平生業成」といいます。これは親鸞聖人の教えから出た言葉であり、浄土真宗の一枚看板です。 「平生」とは、現在ただ今のこと。仏教と聞くと、死んでからの夢物語ばかり教えていると思い、「死んだら極楽」「死んだら仏」と思っている人がほとんどです。しかし仏教は、死後のことではない。生きている現在、ただ今のことを教えられているのです。 次の「業」は、人生の大事業、生きる目的のこと。「大事業」と聞くと、松下幸之助さんや、徳川家康の天下統一の事業を思い出すでしょうが、人生の大事業とは、何はなくてもこれ一つ、一人一人が人と生まれて果たさねばならぬ大事をいいます。仏教を説かれたお釈迦様も、親鸞聖人も、生涯、これ一つを教えていかれました。 それは、阿弥陀仏が、必ず絶対の幸福に救うと誓われている。そのお約束どおりに絶対の幸福になることです。 しかも、それは死後ではない、現在ただ今、完成するのだ、と最後に「成」の一字で表されています。 完成の「成」であり、成就のことです。 人生には目的がある。それはただ今、完成できる。だから早く完成しなさいよ、とのお勧めです。 ところがこう聞くと 「人生に目的などあるか」 「この世で助かるなんて考えられない」 と思う人も多いでしょう。 確かに、私たちが日々、必死に取り組み、高みを目指してしのぎを削っている政治や経済、科学、医学、学問、芸術、武道やスポーツなどには完成、卒業ということは聞きません。これらは、「死ぬまで求道」といわれ、生涯、求め続けねばならぬ道なのです。 ちょっと聞くとこれは、立派で魅力的に思えますが、よく考えればおかしなこと。安心、満足を欲して、私たちはさまざまなものを求めます。求めるのは、求まることが前提のはず。もし求まった、ということがなければ、一生、苦しみ続けねばならないからです。 「求まらなくてもいい。死ぬまで向上、求める過程が素晴らしい」といわれるような一時的な充実と、人生の目的達成の喜びとは全く異質のものなのです。 この人生の目的の厳存と、完成のあることを明らかにされた親鸞聖人の教えを「平生業成の教え」といい、それこそが世界の光といわれるのです。 (続く:関東布教・日野左衛門の済度(4))

関東布教 日野左衛門の済度
親鸞聖人関東布教・日野左衛門の済度(2)

吹きすさぶ雪の中へ親鸞聖人の一行を追い出した日野左衛門の夢の中に、光に包まれた人が現れ、こう諭しました。 「日野左衛門。今、汝の門前に尊い方が休んでおられる。直ちに参って教えを受けよ。さもなくば、未来永劫、苦患に沈むぞ」 あまりに克明な夢に驚いて飛び起きると、妻・お兼が気配を察して起きだす。「あの人たち、どうしたのかなあ」と心配になった二人が玄関を開けて確かめると、なんと門の下に、雪まみれの親鸞聖人の一行がおられるではないか。急いで家の中へ招き入れ、火をおこしました。 温かい粥で一息つかれた親鸞聖人は改めて名乗られ、日野左衛門に語られます。 「こんなことを尋ねては失礼だが、ゆうべ『坊主は嫌いだ』と言われていたようだが……」 彼は迷いながらも、心中をこう吐露しました。 「あー、あれはだな。葬式や法事で訳の分からんお経を読んだり、たまに説教すりゃ、地獄だの極楽だのと、死んでからのことばっかり言って金を持っていく。そんな者、おれは大嫌いでなあ」 静かにうなずかれる親鸞聖人。日野左衛門は続ける。 「だってそうじゃねえか。やつらのやってることは、墓番と葬式だ。死んだ人間の後始末ばかりだ。どうして生きている人間に、どう生きるかを教えねえんだ。それが坊主の役目だろう。おれたちゃ毎日どう生きるかで、朝から晩まで一生懸命なんだ。その、どう生きるかを少しも教えねえで、汗水流して稼いだ物を、持っていきやがる……」 歯に衣着せぬ非難を妻のお兼がいさめる。親鸞聖人は日野左衛門に深く同感されたあと、こう言われました。 「ところで日野左衛門殿。どう生きるかも大切だが、なぜ生きるかはもっと大事だとは、思われませんか。どう歩くかよりもなぜ歩くかが、もっと大事ではありますまいか」 日野左衛門は一瞬虚を突かれて戸惑いました。 どう生きるとなぜ生きる 日野左衛門はここで、葬式や墓番ばかりに励む僧侶に、“どう生きるかを教えていない”と批判を向けています。 「苦しい毎日、どう生きればいいのか」 お釈迦様の教えには、その答えが教えられているはず。それを知りたいのに説かないからだ、と彼は思っています。 現代でも、彼のこの考えに共感を示す人は多いのではないでしょうか。 食べるために働けども、少しも楽にならず、失業率が高まって働くことさえできない人もある。そんな現実に打ちのめされ、どう生きれば、と求める私たちに、生きる指針を示す人があってほしい、と。 親鸞聖人は、そんな思いに同意されたあと、驚くべき言葉でこう切り返されています。 「ところで日野左衛門どの。どう生きるかも大切だが、なぜ生きるかは、もっと大事だとは思われませんか?」 これは一体、何をおっしゃっているのでしょう。 日野左衛門の言う「どう生きるか」は手段であり、その先に、目的がなくてはならない。手段は、目的から出てくるものだからです。 私たちが歩くのは、 「通勤のため駅に向かう」 「友達の家へ遊びに行く」 「ブラブラ散歩する」 など、目的があってのこと。それで初めて、 「近いから徒歩で」 「急ぐから車で」 と、それを果たす手段が問題になります。 その目的「なぜ生きるか」が、果たしてハッキリしているだろうか。 「最も大事な目的を、知らずに生きてはいませんか」 と親鸞聖人は、すべての人に切り込まれ、これを、 「どう歩くかよりも、なぜ歩くかが、もっと大事ではありますまいか」 と換言されています。 この一言が日野左衛門の肺腑を貫き、心を一変させるのです。 仏法嫌いの理由を、僧侶が「どう生きるか」を説かないからだと言う日野左衛門に、親鸞聖人は、「どう生きるかも大切だが、なぜ生きるかはもっと大事ではないか」と思わぬことを突かれました。 ハッとして日野左衛門は聞き返す。 「なぜ生きる?」 「さよう。皆どう生きるかには一生懸命だが、なぜ生きるかを知りませぬ。のぉ日野左衛門殿。それだけ皆、一生懸命生きるのはなぜか。それこそ最も大事ではなかろうか」 ふと目をやると、火鉢の縁を一匹の尺取り虫が回り続けている。前へ前へと、懸命に歩む虫だが、愚かなその知恵では、自分が同じところを回っていることすら気づかない。やがて力尽き、火の中へポトリと落ちた。心に何かが走ったか。日野左衛門がうめくように言う。 「なぜ歩くかが分からねば、歩く苦労は無駄か。なぜ生きるかが分からねば、生きる苦労も、また無駄か。そうだ、オレは、一生懸命生きることが、いちばんいいことだと思っていたが、なぜ生きるかの一大事を忘れていたのか」 その時である。 「それをハッキリ教えられたのが、仏法を説かれたお釈迦様なんですよ」 親鸞聖人の断言を日野左衛門は驚愕して聞いた。 「ええ、そんな教えが仏法?」 今まで知らなかったまことの仏法に触れ、日野左衛門の仏教観が、ガラッと転じる場面です。 「苦しい人生、どう生きるか」と悩んでいた日野左衛門は、「それだけ皆、一生懸命生きるのはなぜか。それこそが大事ではないか」 との親鸞聖人の啓蒙に目を開かれたのです。 ここで、火鉢の縁を回る尺取り虫が描かれているのは、何を意味しているのでしょう。これは、私たち人間の営みを比喩的に表されたものです。 輪を描く火鉢の縁は、いくら回っても終わらぬ、キリも際もない道。私たちの生活が食べて、寝て、起きて……と同じサイクルで続いていくようなものです。とんちで有名な禅僧・一休は、これを「人生は食て寝て起きて糞たれて、子は親となる、子は親となる」と歌っています。 眠い目こすりながら電車に揺られて通勤し、クタクタに働いて、帰途に就く。代わり映えのない毎日だから、昨日の晩、何を食べたか覚えていないこともあるほどです。日々の楽しみといえば、夏の夜の冷えたビール、冬は温かい鍋物に舌鼓を打つといったささやかなこと。 春に花見をしながら「生涯あと何度、桜が見られるだろう?」と、時折、感傷的になっても長続きせず、再びつまらない日常に舞い戻り。 そうして若者が壮年となり、老いて、やがて人生の終幕となる。人生の、この基本的なサイクルは、大統領からホームレスまで変わりません。皆、一生懸命生きているのは何のためでしょうか。 火鉢の縁を際限なく回り続け、火中に落ちていく尺取り虫と何か変わるでしょうか。このように、同じところをグルグル回り続ける悲劇を仏教で「流転輪廻」といい、これが苦しみ迷いの本質だと教えられます。 そんな人生、なぜ生きる。 苦しみ多き一生を、生命の歓喜で満たせるか、否か。 「輪廻の輪を離れて、迷いなき本当の幸せに救われる方法があるぞ。『なぜ生きる』の答え、人生の目的を、ハッキリ教えられたのが仏教であり、お釈迦様なのだ」 親鸞聖人は、声高らかに宣言されているのです。 (続く:関東布教・日野左衛門の済度(3))