親鸞聖人のご生涯
今日もなお多くの方からの尊敬を集めていますね。
両親との死別、肉食妻帯、権力者の弾圧、越後へ流刑、長子の勘当……。
親鸞聖人90年のご一生は、「たくましき親鸞」と多くの人を魅了しています。
親鸞聖人の目覚ましいご活躍の源はなんであったのか。
波乱万丈のご一代をたどります。
関東で布教を続ける親鸞聖人が、阿弥陀仏へのご恩があまりに大きく返しきれないことに悩まれ、寝込まれたことが2回ありました。 寝込まれる親鸞聖人 親鸞聖人59歳頃、原因不明の高熱で三日三晩、ご家族も寄せつ…続きを読む
およそ20年間、関東布教に力を尽くされた親鸞聖人が、止むに止まれぬ事情で、突然帰京を決意なされたのは、還暦過ぎのことでした。 交通も通信も未発達の当時、関東から十余カ国を隔てた京へ帰られることは、生涯…続きを読む
鎌倉幕府の弾圧 親鸞聖人の関東ご布教で仏縁を結んだ人々は、親鸞聖人が京都へ帰られた後も真摯に仏法を聞き求めていました。その親鸞学徒の力強さと法輪の広がりを危険視した鎌倉幕府は、やがて念仏停止の命を下し…続きを読む
善鸞の「秘密の法文」 善鸞の始めた邪義「秘密の法文」とはどんなものでしょうか。今日「土蔵秘事(どぞうひじ)」「カギ法門」「不言講(いわずこう)」などといわれ、全国に広がっています。親鸞聖人・覚如上人・…続きを読む
命懸けの聞法の旅 親鸞聖人のお弟子の代表、性信房(しょうしんぼう)は、「京へ行って、じかにお師匠さまにお聞きしよう」と訴え、一同は京行きを決意しました。 とはいえ、新幹線も電話もメールもない当時、京へ…続きを読む
命懸けにやってきた関東の人たちを前に、この阿弥陀仏の本願への疑心を手に取るように察知なされた親鸞聖人は厳しく仰います。 念仏よりほかに往生の道をも存知し、また法文等をも知りたるらんと、心にくく思し召し…続きを読む
たとい法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。 (意訳) この親鸞、たとい法然上人にだまされて地獄に堕ちてもさらに、後悔はないのだ。 私たちは、…続きを読む
この上は、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御計らいなり。 (意訳) この上は、日蓮に従って念仏捨てようと、親鸞に同心して、念仏を信じたてまつろうとも、おのおの方の…続きを読む
「私が死んだら、賀茂川へ捨てて魚に与えよ」と聞いたら、驚く人が多いのではないでしょうか。実は、親鸞聖人は、常に仰っていたお言葉として、親鸞聖人の曽孫の覚如上人の『改邪鈔(がいじゃしょう)』に記されてい…続きを読む
京都にまします親鸞聖人を慕って、関東からやってきた信楽房(しんぎょうぼう)というお弟子がありました。親鸞聖人からかわいがられ、直筆の御本尊やお聖教まで賜っていましたが、ある時、親鸞聖人の仰せに反発し、…続きを読む
御臨末の御書は、親鸞聖人のご遺言です。 我が歳きわまりて、 安養浄土(あんにょうじょうど)に還帰(げんき)すというとも、 和歌の浦曲(わかのうらわ)の片男浪(かたおなみ)の、 寄せかけ寄せかけ帰らんに…続きを読む